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横濱帆布鞄 M20B4 SHOPPER BAG ショッパーバッグ 全2色 武鑓帆布 045 横浜 日本製
綿11号帆布に捺染プリントを施した吊りポケット付きのショッパーバッグです。
既にスーパーなどでのお買い物レジ袋有料化や、レジポリ袋が廃止されていく傾向で、マイバッグを持ち歩きスマートに買い物するスタイルが定着しつつあります。
横濱帆布鞄でも帆布規格で一番薄手の帆布生地を使用して製作しました。
バッグ内側に吊りポケットが付いていますが、バッグ本体をきれいに折りたたんでポケットに収納して持ち歩くことが可能です。
品名:11号帆布ショッパーバッグ
サイズ:W400×D100×H460 mm
材質:武鑓綿帆布11号 抜染プリント
ハンドル:本体同生地 25mm幅 長さ600mm
製品重量:200g
カラー:NAVY/OLIVE
原産国:日本製
※本製品は、捺染プリント(染料でプリン)で染料を使用しています。
ネイビー・オリーブとも濃色ですので、お洗濯する場合には白物のシャツなどと一緒に洗濯しないようお願いします。
また、水濡れしている物やスーパーなどで結露で水滴などが発生するような物は直接バッグ内に入れないようご注意ください。
武鑓(タケヤリ)帆布
大正7年11月に横濱帆布(株)は誕生し、昭和18年9月に東洋麻糸紡績(株)と合併し横濱帆布(株)の名の終焉を迎えました。
横濱帆布(株)は、昭和に入って海外の市場に着目し、当時満州・支那をはじめアフリカ・豪州他世界各国に日本製の綿帆布の輸出に成功させ、輸出帆布生産に力を注ぎ世界に横濱帆布の名前を轟かせ、最盛期の昭和16年頃には綿帆布の海外輸出量の70%を占め、 横浜の地から良質の日本製綿帆布が世界に輸出されていました。
横濱帆布(株)の横浜工場は大正12年の関東大震災で全壊してしまったため、震災以降は創業当時からの尾道工場に依存していたが、 昭和から戦前国内軍需および海外輸出で需要が伸びてきた頃から、横濱帆布(株)の主力の帆布生産工場として関わってきたのが岡山県倉敷にある武鑓織布工場(現在の株式会社タケヤリ)でした。
今でも創業以来100年以上におよぶ技術・経験の蓄積に加え、綿・合繊、肉厚帆布から薄手柄物まで紡績糸織物を広くカバーする新旧方式混在の製織設備を用い、多品種少量・高付加価値化の定着した国産織物市場の多様なニーズに応え続けていて、綿帆布は1号から11号までの帆布を今でも生産をしています。
既にスーパーなどでのお買い物レジ袋有料化や、レジポリ袋が廃止されていく傾向で、マイバッグを持ち歩きスマートに買い物するスタイルが定着しつつあります。
横濱帆布鞄でも帆布規格で一番薄手の帆布生地を使用して製作しました。
バッグ内側に吊りポケットが付いていますが、バッグ本体をきれいに折りたたんでポケットに収納して持ち歩くことが可能です。
品名:11号帆布ショッパーバッグ
サイズ:W400×D100×H460 mm
材質:武鑓綿帆布11号 抜染プリント
ハンドル:本体同生地 25mm幅 長さ600mm
製品重量:200g
カラー:NAVY/OLIVE
原産国:日本製
※本製品は、捺染プリント(染料でプリン)で染料を使用しています。
ネイビー・オリーブとも濃色ですので、お洗濯する場合には白物のシャツなどと一緒に洗濯しないようお願いします。
また、水濡れしている物やスーパーなどで結露で水滴などが発生するような物は直接バッグ内に入れないようご注意ください。
武鑓(タケヤリ)帆布
大正7年11月に横濱帆布(株)は誕生し、昭和18年9月に東洋麻糸紡績(株)と合併し横濱帆布(株)の名の終焉を迎えました。
横濱帆布(株)は、昭和に入って海外の市場に着目し、当時満州・支那をはじめアフリカ・豪州他世界各国に日本製の綿帆布の輸出に成功させ、輸出帆布生産に力を注ぎ世界に横濱帆布の名前を轟かせ、最盛期の昭和16年頃には綿帆布の海外輸出量の70%を占め、 横浜の地から良質の日本製綿帆布が世界に輸出されていました。
横濱帆布(株)の横浜工場は大正12年の関東大震災で全壊してしまったため、震災以降は創業当時からの尾道工場に依存していたが、 昭和から戦前国内軍需および海外輸出で需要が伸びてきた頃から、横濱帆布(株)の主力の帆布生産工場として関わってきたのが岡山県倉敷にある武鑓織布工場(現在の株式会社タケヤリ)でした。
今でも創業以来100年以上におよぶ技術・経験の蓄積に加え、綿・合繊、肉厚帆布から薄手柄物まで紡績糸織物を広くカバーする新旧方式混在の製織設備を用い、多品種少量・高付加価値化の定着した国産織物市場の多様なニーズに応え続けていて、綿帆布は1号から11号までの帆布を今でも生産をしています。
